
ナイアガラ・オン・ザ・レイクを案内していると、よく聞かれるのがこの2つです。
どうしてこんなにイギリス風の町並みが残っているのか。
そして、なぜカナダの土地でアメリカとイギリスが戦ったのか。
先に結論から言うと、オンザレイクの今の雰囲気は、1812年戦争と無関係ではありません。町は1813年に焼かれ、その後に再建されました。さらに、その再建後の建物が今も大切に保存されているからこそ、私たちは今の街並みを見ることができます。この記事では、ナイアガラ・オン・ザ・レイクとFort Erieを手がかりに、1812年戦争を旅行者にもわかりやすい言葉で整理します。
目次
ナイアガラ・オン・ザ・レイクが英国風の街並みに見える理由

戦争の前から英国側の町だった
今のカナダは当時まだ独立国家ではなく、この地域はイギリス領のアッパー・カナダでした。ナイアガラ・オン・ザ・レイクは1779年にロイヤリスト側の補給拠点として始まり、18世紀末には軍事と行政の重要な町になっていました。町の区画も、1794年にイギリス植民地の都市計画をもとに整えられています。
でも、今見ている建物の多くは戦後の再建期のもの

オンザレイクの古い町並みは、単純に昔の建物がそのまま残ったというより、1813年に町が焼失したあと、1815年以降に再建された建物群が今の景観の中心になっています。Parks Canadaは、旧市街を1815年から1859年に建てられた建物がよく残る地区として位置づけています。つまり、今の英国風の雰囲気は、戦争で壊されたあとに再び作られた町の姿でもある、ということです。
今も古い雰囲気が残るのは、保存の力も大きい

もうひとつ大事なのが、保存です。
ナイアガラ・オン・ザ・レイクでは、住民や地域団体が早い時期から歴史的建物の修復や保全に取り組んできました。Parks Canadaは、1950年代以降に住民による修復の動きが強まり、1962年には保存団体も作られたと説明しています。町のOld Townは1986年にHeritage Conservation Districtとして保護され、今も景観を守る仕組みがあります。だから、戦争の影響だけでなく、その後の丁寧な保存が今の街並みを支えていると考えるのが自然です。
なぜカナダの土地でアメリカとイギリスが戦ったのか
簡単に言うと1812年戦争は、アメリカとイギリスの戦争
1812年戦争は、アメリカとイギリスの戦争です。大きな背景には、ナポレオン戦争の時代にイギリスがアメリカの海上貿易を妨げたことや、アメリカ船への干渉、船員の徴用問題がありました。さらに北米では、西への拡大を進めるアメリカと、先住民社会・イギリス側との緊張も強まっていました。
そのときのカナダ側は、イギリス領だった

当時のオンタリオ周辺は、今のカナダではなくイギリスの植民地でした。なので、アメリカから見ると、ナイアガラ周辺はイギリス側の前線でした。海の上で本国イギリスと争っていても、北米では地理的に近いイギリス領を攻めることになる。だから、現在のカナダ側が主戦場のひとつになりました。
ナイアガラが戦場になったのは、国境そのものだったから
Fort Georgeは、ナイアガラ川と補給路を守るために1796年から1803年にかけて建てられました。川の向こうはアメリカ側なので、ここは最前線です。1813年にはアメリカ軍の砲撃でFort Georgeが大きく損傷し、その後アメリカ軍が占領しました。年末にアメリカ軍は撤退しますが、その際に町を焼き払いました。ナイアガラ・オン・ザ・レイクが戦争の記憶を色濃く残すのは、この出来事が大きいです。
Fort Erieまで入れると、歴史の流れがもっと伝わりやすい

オンザレイクだけでなく、Fort Erieも重要な戦場だった
もしツアーで少し広く説明するなら、Fort Erieも一緒に出すと流れがわかりやすくなります。Fort Erieはナイアガラ川がエリー湖に出る場所にあり、こちらも軍事的に重要な拠点でした。現在のOld Fort Erieは1805年から1808年に築かれた fort をもとにしていて、1814年にはアメリカ軍に奪われ、Lundy’s Lane の後の拠点となり、その後イギリス軍の包囲を受けています。最終的にはアメリカ軍が撤退時に破壊しました。
ここではイギリス軍だけでなく、先住民や民兵も重要だった

この戦争を、単純にアメリカ対イギリスだけで説明しきれない理由がここにあります。政府の資料では、First Nationsの戦士やMétisの人たちが、イギリス軍や植民地民兵とともに各地で防衛に大きな役割を果たしたとされています。ナイアガラ方面でも、こうした連携がアメリカ軍の侵攻を押し返す力になりました。カナダ側とは実際にはイギリス軍だけでなく、現地の民兵や先住民の同盟勢力も一緒に戦いました。

まとめ
ナイアガラ・オン・ザ・レイクの英国風の町並みは、戦争とどこかでつながっているのではなく、かなり直接的につながっています。
町は1813年に焼かれ、その後に再建されました。だから今の旧市街は、戦後の再建と19世紀前半の発展、そして後年の保存活動が重なって生まれた景観です。
そして、なぜここで戦争が起きたのかをたどると、当時のこの地域がイギリス領で、しかも国境の最前線だったことが見えてきます。
ナイアガラの滝だけを見ると、オンザレイクやFort Erieは少し静かな場所に見えるかもしれません。ですが、歴史を知ってから歩くと、同じ景色でも見え方がかなり変わります。街並みが好きな方だけでなく、カナダとアメリカの国境の歴史を知りたい方にも、このエリアはかなり面白い場所です。今も昔の街並みや歴史の痕跡が残っているので、ただ観光地を回るのとは少し違って、その土地の背景ごと感じながら歩けるのが魅力です。滝の華やかさとは別に、落ち着いた空気の中でナイアガラのもうひとつの顔に触れられる場所だと思います。
2017年7月1日は、カナダ連邦成立150周年を祝うカナダ・デーでした。各地でイベントが開かれ、街は赤と白に彩られました。カナダは1867年にイギリス帝国内の自治領として発足し、1982年のカナダ法で憲法上も完全に自立しました。時期的に明治維新とも近いのでイメージしやすいですよね。
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